2015年7月9日木曜日

ギンレイの【考察しちゃうぞ!】外交で渡り合うには

前回、
韓国の手の平返しの外交の卑怯さ
について言及しましたが、
そこから一つ
思いついたことを書きます

いわゆる慰安婦問題などなど
賠償という問題から
訴訟社会との関連性を探り、
外交としたたかさについて
言及していきますので
よろしくお願いします!


■賠償と約束

よく耳にする慰安婦問題や
日本企業への賠償訴訟問題
ですが、
過去日韓で完全かつ包括的に解決
だったかな、
そういう形で全て
終わらせているハズですよね

ですが、
こういう問題が出てくるわけです

日本側からしたら
解決済なんだから
言ってくるのがおかしい
となるわけですが、
こうした問題には
アメリカみたいな
訴訟社会の方が
強いのかもしれない、
なんてことを思ったわけです


■卑怯卑劣を用いれば

今流行の
『ルールに書いてなければ何をやっても良い』
という卑怯卑劣の感覚であれば、
『完全かつ包括的に解決だけど、
 当時の【完全】にはこれこれこういう
 問題は含まれていない上での【完全】だったよね』
みたいに詭弁で
抜け穴が作れてしまう

こうした卑怯卑劣と
渡り合うのなら、
それこそアメリカの商品の
分厚い小冊子みたいな説明書
レベルで文書を交わさないと
ダメなんじゃないかと思うのですw

【Mドナルド】で
コーヒーを股に挟んで開けようとして
ヤケドして訴訟!
なんてのが過去あったと思いますが
『コーヒーを股に挟んで開けようとしないで下さい』
というレベルで
文書を交わすのです!w


■終わりに

ここまでやって
韓国が破ろうとすれば
世界にも日本側の
正当性をアピールできるのでは
ないでしょーか

逆に今のままだと
訴訟社会でしたたかに
生きている人達には通用
しないのかもしれません


外交とはしたたかに行うものです

ご清聴ありがとうございました!


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