2015年1月14日水曜日

ギンレイの【考察しちゃうぞ!】キレイごとについて

久々にコラムでも書こうかと思い至りましたので、
雑多な内容ですが書こうと思います!
なんかコラム書かなすぎて
前回のコラムから半年以上経過している気がしますw


『キレイごと』

色んな小説を読んでいる中で気になったというか、
見つけた矛盾点があります

けっこう多くの作品の中で
『世の中キレイごとだけじゃない』
『友愛とか慈愛とか信用できない』
『優しさとか偽善』
などという感じで書かれているのが目に付きます
まあ簡単に言ってしまえば
汚いことへの擁護をするための『キレイごと』へのディスですね

ただ、一方でこれは矛盾しているんじゃないか
という部分があるのです!

ヒロインが主人公を好きになるところに注目してみると、
『好き』の理由がだいたい
『命を助けてくれた』
『介抱してくれた』
『優しくしてくれた』
とか『キレイごと』に頼っているんです

変でしょう?

『キレイごと』をディスしているのに、『好き』の理由には使っているんです!
結局『キレイごと』が良いものだと
認めてしまっているようなものですよね!

汚いことを擁護する方向で統一するなら、
人を陥れる姿に惚れるとか
人を騙して収入を得る姿に惚れるとか
助けを求めている人に罵声を浴びせる言葉に魅力を感じるとか
そういう風に書かないといけないハズです!w

この矛盾は何か?

結局口では『キレイごとだけじゃない』とか言っているけれど、
本心では
そんなの間違っていると分かっているということかもしれません

しかしながら、
汚いことへの擁護をしなければならないみたいな風潮が
あるのかもしれません
今の時代、
後ろ向き、下向きなものを見て安心するというような人が増えてます
『こんな自分でもいいんだ』と思いたいみたいな需要ですね


まとめ

 ・口では『キレイごと』へのディスをする作品が多い
 ・でも『好き』の理由には『キレイごと』を使っている
 ・『こんな自分でもいいんだ』と思いたい需要が背景にありそう

書き手の方はこれを踏まえ、
とりあえず本心ではどうであれ
とりあえず『キレイごとへのディス』を入れてみると
編集部でのウケが良くなるかもしれません!

今後もできればちょくちょく
コラム書ければ良いなーw
気力次第ですw



ご清聴ありがとうございました!

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